福岡地方裁判所久留米支部 昭和27年(わ)252号 判決 1960年3月04日
被告人 吉原又吉 外二名
主文
被告人吉原又吉を懲役二年に処する。
未決勾留日数中二〇〇日を右本刑に算入する。
押収にかかるタオル〔(柄)三七打一一枚、(格子柄)八二打〕(証第一五号)は村政タオル株式会社代表取締役村上政雄に還付する。
訴訟費用のうち、証人加藤建二、同吉村泰、同村上政雄、同丸橋進、同国分胤英、同木原主計(第五回及び第二九回公判分)、同阿部稔(第五回及び第二九回公判分)、同黒部文一(第四回、第二七回、及び第二八回公判分)、同浜田博久、同井阪清、同北島忠(第一五回及び第三〇回公判分)、同熊谷藤男、同武村栄介、同井上鉄五郎、同松島巌、同岡本道雄、同大内繁、同高田達夫、同大津学而、同坂井文明、に各支給した分は、被告人吉原又吉の負担とする。
被告人小野村正、同北島健はいずれも無罪
被告人吉原又吉に対する公訴事実中、特別背任の点は無罪
理由
(罪となるべき事実)
被告人吉原又吉は
第一、昭和二六年一月二三日、久留米棉業株式会社(以下久棉と略称する)なる会社の設立登記をして自らその社長と称し、その店舗の入口には、右久棉が、一流商社である東洋棉花株式会社(以下東棉と略称する)と密接な関係を有するかのような外観を呈する『東棉荷扱所』という看板を掲げて、繊維製品の卸販売等の業務に従事していた者であるが、同年一〇月下旬頃、四国に於て綿製品の買付けをする目的で、知人である有限会社三信商事社長、北島忠と共に愛媛県今治市慶応町七六番地、丸今棉布株式会社に赴き、かねて北島忠と親交のあつた同社取締役工場長国分胤英を訪れ取引先の斡旋方を依頼するに際し、北島忠において、被告人が東棉と一体不可分の関係にある久棉の社長であつて、その商品仕入にあたつては東棉より当然資金の援助があるものと軽信し、この度の取引も、東棉が資金の面を、又久棉(被告人)が仕入・販売の面を、そして三信商事(北島忠)が業者の紹介の面を、それぞれ分担して三者共同で商売を行いその利潤を右の三者間に分配するものであると誤信していたところから、被告人を国分胤英並びにその場に居合せた同社取締役総務部長、阿部稔に紹介するにあたつて、該取引が東棉・久棉及び三信商事三者共同の商売であること、就中久棉は一流商社である東棉とタイアツプしているので、万一の場合には東棉が資金面の責任を負うゆえ、代金支払の点は絶対に確実である旨、特に強調して述べたのを奇貨とし、事実は、久棉は東棉とさしたる関係はなく、且該取引に東棉が資金面の援助をするものでもなく、単に自己一人の商売であるに過ぎないのに拘らず、国分胤英及び阿部稔の両名が右北島忠の言をほぼ真実なりと誤信している状態を利用し更にその誤信の程度を強からしめ、以つて国分・阿部両名を介し、右同様の錯誤に陥つた業者から、自己の支払能力以上の綿製品を思惑買いしてこれを騙取しようと企て、北島忠がその専断によつて述べる右の言辞が虚構であることを知りながら、ことさらにこれに同調し、さらにみずからも『東棉荷扱所』なる肩書入りの名刺を手交する等国分・阿部両名の錯誤状態を一層強固ならしめ、右錯誤に陥つた国分胤英、阿部稔の両名をして商品の仕入先を紹介させた上、
1 同年一〇月二六日頃、今治市常盤町一丁目有限会社いとや商店に於て黒部文一(当時四一年)に対し、北島忠があらためて、東棉・久棉・三信商事の三者共同で取引するものであること、及び商品は東棉の帳簿を通すので、手形も東棉から発行することになつている旨を述べ、その場に被告人も同席して、『東棉荷扱所』なる肩書入りの名刺を示して北島忠の右言が真実なるかの様に装い、黒部文一をして、東棉が関係している以上、確実な取引であつて代金支払の点も間違いないものと誤信せしめ、因つて同人から同年一二月一七日より翌二七年一月二五日までの間に卸売名下に綿布等の綿製品時価計九八四万円余相当を出荷せしめ、その頃、久留米市築島新町四番地の自己の店舗に於てこれを受取り以つて騙取し
2 同年同月二七日頃、今治市大字日吉字中河原一五九番地村政タオル株式会社に於て同社代表取締役村上政雄(当時五五年)に対して前同様の欺罔手段を用い、その旨誤信させ、因つて同会社から同年一二月七日より翌二七年一月二五日までの間に卸売名下に、綿タオル時価一〇〇余万円相当(証第一五号を含む)を出荷せしめ、その頃前記自己の店舗に於てこれを受取り以つて騙取し、
3 前同日頃、松山市久宝町三三番地合名会社浜田機織所に於て、同社々員浜田博久(当時二八年)に対し、前同様の欺罔手段を用いてその旨誤信せしめ、因つて同会社から同年一一月二七日に伊予絣三六〇反、同年一二月一日伊予絣二四〇反時価合計四八八、二九五円相当をいづれも卸売名下に出荷せしめ、その頃前記自己の店舗に於てこれを受取り以つて騙取し、
第二、同年一一月初旬頃(右四国からの帰路)北島忠を同道して大阪市東区高麗橋二丁目一番地日華染織株式会社大阪営業所に商品仕入れのために赴いた際、事実は前記の通り被告人の単独商売であり、東棉とは関係なく、自己の支払能力以上の思惑買いをするものであつて、支払不能のおそれが充分にあつたに拘らずこれなきものの様に装い、同社常務取締役加藤建二(当時五〇年)に対し、北島忠と交々『自分は東棉に長く勤めていたが現在では東棉をやめて久棉の社長をしている、久棉は東棉の荷扱所であつて、東棉久留米出張所を通して取引をしているので、絶対間違いない』旨申し向け、『東棉荷扱所』なる肩書入りの名刺を示して加藤建二をその旨誤信させた上、別珍の取引を申し入れ、次いで同月一〇日頃、再び同社に加藤建二を訪れて『万一の場合には直ちに久棉手形を東棉手形に切替えるから取引をして貰いたい』旨申し向け、加藤建二をしてますます代金支払は確実であると誤信するに至らしめ、因つて同人から、同年一二月二五日に生地別珍一〇〇反時価七五六、五七五円相当を出荷せしめ、その頃前記自己の店舗に於てこれを受取り以つて騙取し、
第三、昭和二七年一月二四日頃、大阪市南区順慶町通り二丁目株式会社和泉商店に商品を仕入れに行つた際、同社々員吉村泰(当時三四年)に対し、同道した東棉大阪本店社員坂井文明が被告人を紹介するにあたり、久留米でしつかりした店を持つて居り、東棉にも出入りしていて、これと関係があるかの如く申し向けたのを幸い、『東棉荷扱所』『久棉社長』なる名刺を示し、事実は東棉と関係なく、且前記の通り四国・大阪より多量の綿製品の思惑買いをしてその処分に窮し、その頃右商品の売捌き方の援助を東棉大阪本店に求めていた様な実情にあり、支払能力に著しい支障を来たしていたに拘らずこれを秘し、恰も順調な取引を行つているかの如く装つて着荷現金払による綿布の取引を申し入れ、因つて吉村泰をして、着荷次第、代金の支払を確実に受けられるものと誤信せしめ、その頃同人から綿布太綾九A三八反時価三二七、四五五円相当を出荷せしめ、これを前記自己の店舗に於て受取つて騙取し、
第四、法令に定められた運転の資格を有しないで、
1 昭和二六年一〇月一九日午前一一時三五分頃、福岡県八女郡水田村大字長崎の路上に於て軽二輪自動車を運転し、
2 同年一二月二四日午後二時一五分頃、八女郡水田村大字船小屋の路上に於て軽二輪自動車を運転し、
以つて無謀の操縦をなし
たものである。
(証拠の標目)(略)
(無罪の説明)
第一、被告人小野村正の詐欺の点について
一、公訴事実
被告人小野村正に対する詐欺の公訴事実は、
『被告人は、昭和二六年一〇月下旬頃、久留米市日吉町、東洋棉花株式会社久留米出張所に於て、久留米市築島新町四番地久留米棉業株式会社々長吉原又吉及び八女郡福島町三信商事社長北島忠と事実共同購入の意思がないのに拘らず三者共同で綿製品の買付けをする如く所謂仮空の事実を設けて四国方面業者を欺罔して綿製品類の取込み詐欺をなさんことを、右吉原又吉と共謀し、右吉原又吉及び北島忠に於て同年一〇月下旬頃、右北島忠の知人であり今治市では人格者と通つている愛媛県今治市慶応町、丸今綿布工場長国分胤英方を訪れ、同人に対し自分等と東洋棉花久留米出張所長小野村正の三者が共同で綿布類の仕入れ竝びに販売をなすことになつて居り、金融面は東洋棉花株式会社久留米出張所が持つことになつているから、業者を紹介して貰い度いと欺き、同人をその旨誤信させ同人の紹介を得て
第一、昭和二六年一一月下旬頃、今治市常盤町一丁目有限会社いとや商店に於て黒部文一に対し、その事実がないのに拘らず之あるものの如く装い、右の如く三者共同事業をなすもので資金面は東洋棉花が担当し、貴地製品を仕入れて東棉の加工棉製品と一緒に販売したい、
品物は東洋棉花の荷扱所である久留米棉業株式会社宛に送付されたいと申し向け、同人をして真実東洋棉花久留米出張所が実質上の買主であり、品物は出荷すれば直ちに確実な支払いを受け得るものであり、右三者の共同事業として取引するものであり、品物を右吉原又吉の借財の穴埋めに利用するものでない旨誤信させ、昭和二六年一二月二七日から昭和二七年一月二五日までの間に於て右黒部文一から卸売名義の下に金九百八十四万四千四百五十円相当の綿布等の綿製品を出荷させ之を騙取し、
第二、同年一一月二七日、今治市大字日吉字中河原一五九番地、村政タオル株式会社に於て村上政雄に対し、前記の者で前記同様の欺罔手段を施し、同人をしてその旨誤信させ、昭和二六年一二月七日から同二七年一月二〇日までの間に於て右会社から卸売名義の下に金百一万千三百円相当の綿タオルを出荷させて之を騙取し、
第三、同年一一月下旬頃、松山市宮西町七五番地合名会社浜田機織所に於て丸橋進に対し、前記の者で前記同様の欺罔手段を施し、同人をしてその旨誤信させ、昭和二六年一一月二七日から同年一二月一日までの間に於て、右会社から卸売名義の下に金四十八万八千四百四十円相当の伊予絣を出荷させて之を騙取し
たものである』。
というのである。
二、当裁判所の認定
先づ順序として、公訴事実中本件詐欺罪の発端をなす、昭和二六年一〇月下旬東棉久留米出張所に於て、被告人小野村正(以下単に被告人という)と、相被告人吉原又吉(以下単に吉原という)とが、三信商事社長北島忠をまじえた三者共同で綿製品の買付けをするかの如き虚構の事実を設け、詐欺の共謀をしたとの点について、その事実の存否から判断することとするが、ここに右詐欺の共謀ありとされた当日、被告人と吉原とが東棉久留米出張所に於て会うに至つた経緯、対話者、話の内容等を明らかにすると次の通りである。
(証拠の標目)(略)
吉原は、昭和二六年一〇月上旬頃、東棉久留米出張所社員金納利幸から『八女郡福島町の三信商事社長北島忠は中共方面の事情にも明るいので一度逢つてみてはどうか』とすすめられたので、その頃、金納に伴われて福島町に北島忠をたづねたが、偶々同町の町制施行祝賀会の当日であつたため北島は祝い酒に酔つており、深い話も出来ず、その日は『東棉荷扱所』なる肩書入りの名刺を手渡した程度で、後日を約し北島と別れた。
北島忠はその後四、五日して久留米市に出た際、右約束に従い同市築島新町四番地久棉こと吉原方に電話をかけたところ、吉原から、丁度用事があつて東棉に出かけるので、そこで逢おうと言はれたので、同市日吉町の東棉久留米出張所に廻り、其処で吉原と逢い、その際同出張所長であつた被告人にもその場で紹介された。
被告人と北島とは、共にかつて戦時中、マニラにいたことがあり、そのことが互にわかつたので一しきりその頃の昔話をして時を過ごしたが、丁度時刻も昼頃となり、偶々東棉の取引先である九州棉業から横田某も尋ねて来たので、被告人が近くの吾妻寿司に於て昼食を御馳走することになり、右北島・吉原・横田三名を誘い、四人で東棉を出た。
その途中被告人は薬屋に立寄り、北島・吉原・横田三名は一足先きに吾妻寿司に行つて酒を飲みはじめたが、その席上、北島は誰にともなく、自分の懇意な人が四国で有力な綿製品会社の工場長をしているので、都合では四国方面に仕入れに行こうと思つている、と語つた。
吉原は右北島の話を聞いて乗り気になり、同人に対し、自分も是非連れて行つて呉れと同行を頼つたが、丁度その時被告人が入つて来たため、その話は具体化されないままで中断され、四人で飲酒歓談に移つた。
而して北島と吉原とは、吾妻寿司からの帰途、四国行の話は後刻あらためて相談する旨約して別れたが、その後吉原から早く行こうとの催促もありその間の詳細な経過は必ずしも明らかではないが、北島が久棉こと吉原方を訪れて話し合う等して兎も角も右両名の間に四国行の計画が纒まつた。
ところで北島はその頃、吉原が『東棉荷扱所』なる肩書入りの名刺を使用し、その店舗にも同様の看板を掲げ、現に東棉にもしばしば出入りしているらしいのを見て、吉原は日本有数の商社である東棉と極めて密接な、いわば一体不可分の関係にあるものと軽信してその立場を羨み、自分も吉原を通じ、吉原同様に東棉の贔屓を得たいものと期待していたところから、まず東棉と関係を付ける手はじめに、右四国に於て綿製品の買付けをするにあたつて、これに東棉も加わつて貰い、出来得れば東棉から資金面の援助を受けたいものと考えた。
そこで北島は、いよいよ四国に向け出発する直前、即ち本件詐欺の共謀があつたとされた当日、吉原を連れて東棉久留米出張所に被告人を尋ね、被告人に対して『今度久棉を主体として四国方面から綿製品を仕入れたいが、東棉を「通す」からよろしく頼む』旨のことを申し入れた。
右「通す」という言葉は、被告人・北島・吉原の三者にとつて何れも極めて意味不明瞭な言葉ではあるが、大体、万一の場合には東棉が資金面の援助をする、といつた程の内容であると認められる。
而して被告人としては、北島とは知り合つて未だ日も浅く、当日が同人と会つた二度目に過ぎず、共同で取引をする程の信頼関係もないので、北島の申出に対しては黙つていたが、吉原はこれを以つて被告人の意思通り不同意と解したのに反し、北島は、被告人の態度に積極的に不同意をとなえる程でもない、多少曖昧な点があつたためか、これを以つて自己の申出に応じたものと専断した。
以上が東棉久留米出張所に於て、被告人と吉原との間に詐欺の共謀が成立したとされた当日のその場の模様、及びそこに至つたいきさつの全てであつて、これによつて明らかな如く、被告人と吉原との間には、その際特に具体的なことばは交わされておらず、且被告人と北島との間の話も、四国に於ける綿製品の仕入れに東綿が加わるかどうかの、正常取引の相談であつて、右相談に至る過程に於ても、被告人と吉原との間にはもとより、被告人と北島との間にも、何ら詐欺的計画を疑がわせる様な交渉は存在しない。
他に被告人について詐欺の犯意ないし詐欺の共謀の点を認定するに足りる証拠はない。
従つて、被告人については、公訴事実中、その余の事実について、あらためて判断するの必要をみない。
第二、被告人北島健、同吉原又吉の特別背任の点について、
一、公訴事実
次に被告人北島忠、同吉原又吉に対する特別背任の公訴事実は、『被告人吉原又吉は昭和二六年一月末に設立の久留米棉業株式会社(以下久棉と略す)の取締役社長なるところ、同人が株式会社吉原商店の取締役として在任中、東洋棉花株式会社久留米出荷所(以下東棉と略す)に対し、金三百二十三万七千三百五十八円八十六銭の旧債務を負担し居たるが、右株式会社吉原商店は既に解散し、昭和二五年一二月二五日清算結了登記を了し居り右債務は消滅し居たるに拘らず、当時東棉出張所長たる相被告人北島健から右旧債務弁済方を慫慂せらるるや、被告人吉原又吉はその所属会社久棉を害し、第三者たる東棉会社を利せんことを図り、株式会社吉原商店の右東棉に対する旧債務を久棉会社名義に肩替りせんことを企て、茲に被告人両名の共謀成立し、被告人吉原又吉に於て其の任に背き、昭和二五年一月二五日頃久留米市築島新町四番地久留米棉業株式会社に於て右旧債務金三百二十三万七千三百五十八円八十六銭相当額の同社名義の約束手形一一枚を作成し、同日社員信桓秀夫をして、久留米市東洋棉花株式会社久留米出張所に於て、同出張所長たる相被告人北島健に交付せしめ、同被告人はその情を知悉し乍ら之を受取り以つて被告人両名は、右久棉会社に対し右金額の損害を与えたものである』
というのである。
二、当裁判所の認定した事実
右公訴事実中、及び公訴事実に関連して当裁判所は次の事実を認定する。
(証拠の標目)(略)
被告人北島健は東棉久留米出張所の出張所長格の地位にあつたもの被告人吉原又吉は久留米市内に於て呉服商を営んでいた者であつて、被告人両名は昭和二四年五月頃から取引を通じて知り合いとなつたが、その後被告人吉原は同年七月、株式会社吉原商店(以下吉原商店と略称する)を設立して自らその代表取締役となり、更に同年九月、吉原商店は東棉のサービスステーションとして同社の販売面に於ける下請けを受持つこととなり、当時統制品であつた綿製品の委託販売を始めたが、その頃、吉原商店は東棉に対し、商品代金等数百万円の債務を負担するに至つた。
そこで、吉原商店に対する右債権の取立に不安を感じた東棉は、吉原商店の債務拡大の防止並びに債権回収を計る意味と、併せて被告人吉原の有する絹及び人絹製品取引に於ける経験と地盤とを利用する意味で、一方被告人吉原は、一流商社である東棉と組んで仕事をすれば損はないとの打算から、ここに東棉と吉原商店とは合同して仕事を行うこととなり、その交渉が被告人北島と同吉原との間で持たれたが、大体利潤を東棉六分・吉原商店四分の割合で分配するとの案も纒つたので、同年一二月末、被告人吉原は、吉原商店社員七、八名及び在庫商品の大部分を持つて、市内日吉町、東棉久留米出張所の二階に移転し、同所に於て吉原商店の名義によつて商売を継続した。
しかるに右利潤を四分六分に分配する案は、東棉本社に於て容れられず否決せられたので、翌二五年一月末、東棉久留米出張所では吉原商店の手持在庫商品をすべて買取つてその代金を債権の一部に充当することとし、爾後被告人吉原は、吉原商店代表取締役としてではなく、東棉の一嘱託として東棉に止まることになり、同所に於て仕事を継続したが、勿論利潤の分配にはあづかれず、同年九月決算の結果によれば、吉原商店は東棉に対し尚三百余万円の債務が残つていることが明らかになつた。
そこで被告人北島は、東棉久留米出張所長樅木辰人と共に、或は単独で被告人吉原に対し、右吉原商店の東棉に対する債務を確認する意味で手形を書いてくれと数回要求したところ、被告人吉原はこれに応じて、その頃吉原個人の振出名義の約束手形十一枚金額合計三百二十一万九千四百四十七円五八銭を東棉に宛てて振出した。
而して吉原商店は、その頃から清算手続に入り、同年一二月二五日清算結了し、翌二六年二月八日には解散登記を済ませ、
又被告人吉原は、昭和二五年一二月東棉と別れ、翌二六年一月二三日、新たに久棉の設立登記をして自らその代表取締役と称し、次いで翌二月頃以降に於て前記吉原個人名義の約束手形一一枚にかえてこれと略々同額の久棉名義の約束手形一一枚を東棉に宛てて振出し、その后も該約束手形を、多少その金額を減じつつ、何度か新たなる久棉名義の約束手形に切替えた。
三、被告人両名の刑責
次に被告人各自が本件久棉手形振出行為についてどの程度関与し如何なる刑責を負うべきかについて判断する。
1 被告人北島健について
被告人北島が同吉原に対して手形を書く様数回要求した事実の存することは、前記認定の通りであるが、被告人北島の要求した手形が特に久棉名義の手形であつたか否かの点については、僅かに証人吉原又吉が当公廷に於て「北島からも久棉手形を出して呉れと言はれた様な気はするが、断言は出来ない、判然記憶しない」旨証言しているのみであつて、他は凡て、被告人北島が同吉原に対し手形を要求したという事実のみに触れて、北島が如何なる手形を要求したかの点については明らかにしていない。
而して北島が吉原に対して手形を書いて呉れと要求した時期が吉原が未だ東棉の二階に於て仕事をしていた頃、即ち久棉設立以前であつたこと、先づ以て吉原個人名義の手形が書かれていること、北島は久棉が設立されたことと知らなかつたこと等からすれば、却つて北島は吉原に対し手形を要求するに当つては吉原商店名義或は吉原個人名義のそれを念頭に置いていたとしか考えられない。
他に被告人北島が同吉原に対し、久棉設立後、或は設立前その設立されることを知つて、特に久棉名義の手形振出を要求したと認定するに足りる証拠はない。
従つて久棉に対する害意、その他の事実については判断するまでもなく、被告人北島は本件特別背任罪について何ら責任を負うものではない。
又仮りに被告人北島が同吉原に対し久棉名義の手形振出を要求した事があつたとしても、尚その行為が特別背任罪を構成するものでないこと、以下被告人吉原について述べるところと同一である。
2 被告人吉原又吉について
被告人吉原が久棉自体の債務支払のためにではなく、久棉手形一一枚金額合計三百余万円を東棉に宛て振出したことのある事実については同被告人もこれを自認するところであるが、右手形振出行為の故に同被告人が如何なる刑責を負うべきかを判断するにあたつては、先づ久棉の実体は何か、即ち久棉は会社なりやについて検討を加える必要がある。以下この点を明らかにすると次の通りである。
(証拠の標目)(略)
久棉はその資本金一五〇万円であつて、設立にあたり発起人として名を連ねた者は、
吉原又吉、小山栄一郎、松島巌、井上鉄五郎、紫原荘一、井の口嘉蔵、岩川栄、他三名
の計一〇名であり、右一〇名で合計九五万円の株を引受け、その残り五五万円の株は株式申込人たる
平川清水、平川アイ子、吉原キヨ子他七名
でこれを引受けた事になつており、又取締役には、
吉原又吉、小山栄一郎、松島巌、井上鉄五郎、紫原荘一が
監査役には、
井の口嘉蔵、岩川栄が
それぞれ選任せられた事になつている。
そこで右各発起人、株式申込人、取締役、監査役のそれぞれが久棉設立にあたり或はその後の会社活動についてどの程度実際にこれに関与したかを明らかにするため、ここに多少、煩雑ではあるが、右各人の証言要旨を記載すると、
吉原又吉=久棉設立の際、株金の払込は自分一人でした。
株主総会等を開いたこともなく会社の切廻しは全て自分一人でしていた。
小山栄一郎=久棉の発起人にはなつたが、それは吉原から定款に印を押し、株の引受をして呉れと言われたのでそうしただけであつて、具体的に久棉設立には何も関係していない。
株は何株引受けたか記憶しないし、株金の払込みをしたこともない。
設立の際、自分、吉原、松島の他何人かの人間が久棉事務所に集つたことはあるが、それが創立総会であつたかどうかははつきりしない。
その他に株主総会、取締役会等開いたことはない。又自分は吉原方で(即ち久棉事務所で)働いていたが、それは久棉専務という立場ではなく、吉原又吉個人の一使用人であるという考えであつた。
松島巌=自分は名義だけの株主であつて、株金の払込みをしたことはない、又重役会株主総会等一度も開いたことはなく、結局久棉は吉原一人で全株の払込をし、同人一人で切廻しをしていた。
井上鉄五郎=久棉設立の際、吉原から株主になつて呉れとの相談があつたので、印鑑証明はやつた様に思うが、実質的な関与はしていないので、何株の株主になつたかも知らない。
紫原荘一=久棉設立にあたり、吉原から、株の引受及び重役になることを頼まれたが、株の引受は断つた、従つて、株金の払込はしていない。
重役になることは承諾して委任状等の書類に印鑑を押したが、結局会社が何時成立したかも知らず、取締役会等の通知を受けた事もない。
実際上会社とは何も関係していない。
井の口嘉蔵=久棉設立の時、吉原から、会社を作るから名前を貸して呉れとの話があつたので印鑑を貸した。
更に監査役になつて呉れとの申し入れもあつたが自分としてはその柄でもなし、力もないのでこれを断つた。
久棉の重役になつている事は何も聞いていないし、取締役会等の通知を受けた事もない。株は五百株乃至千株引受けた事になつていると思うが、吉原が金は払わなくていいと言つたので払つていない。
岩川栄=久棉設立の際吉原から、会社を作るが株主が足りないので印鑑を貸して呉れと言われ、その后使いの者が印鑑を取りに来たので、これを貸した、監査役になつた事は後日聞いたが、自分としてはその自覚がない。株を引受けた事なく、株金の払込はしていない。総会等の通知もなく、会社が出来上つたという事も聞いていない。
平川清水=吉原から会社を作るから名前を貸して呉れと頼まれ、印鑑を押して呉れたら資金は吉原の方で都合するからとの事であつたので久棉株を自分名義で千株、妻平川アイ子名義で千株、引受けたが、株金の払込はしていない。
勿論株は貰つていないし、貰うつもりもない。
自分は久棉に株主として名前を貸した時以外、久棉とは全然関係がなく、総会通知を受取つたこともない。吉原キヨ子=久棉のことには関係していないので、自分が久棉株何株を引受け、誰がその株金を払込んだか記憶しない。
以上が久棉関係者として名を連ねた者の、久棉に関与した仕方程度のすべてであつて、これを要するに久棉の発起人といい、株式申込人といい、或は取締役、監査役といつても、その立場地位に対応した自覚を持ち、これに従つて行動していたという者は一人としていないのであつて、すべてが久棉設立にあたり被告人吉原の依頼によつて同人に対し、会社設立登記申請書類の体裁を整えるため、これに必要な氏名、印章を貸したというに過ぎないことが明らかなのである。
ところで会社なるものは、その制度の起源、発達、効用等についてここに詳述するまでもなく、個人企業とは明らかに異なり、複数人による企業経営組織体であつてかかる組織体がその機関によつて活動し、しかも各機関を構成する個人から独立して、それ自体企業取引の主体性を有しているところにその本質を求めることが出来るのであるが、これを久棉についてみると前述の通り久棉にはその設立の当初よりその后に至るまで実質的な複数人による企業経営の意思、及び会社機関の存在並びにその活動といつたものはすべて全く認められないのであつて、そこには被告人吉原の、個人としての企業経営の意欲あるのみに過ぎないことが看取されるのである。この事は、久棉なる会社が個人たる被告人吉原をおいては、他に何ら会社の実体の存在しない事を意味するものであつて、如何に会社設立登記がなされているからと言つて、実体の存しない会社がこれによつて成立するというものではないこと勿論である。
検察官は、商法上「一人会社」も認められているのであるから久棉も又会社であると主張するのであるが、一人会社なるものが法律上認められるか否かは別として、ここに「一人会社」というのは、一且有効に成立した会社がその後に至り、偶々株主が一人になつてしまつた際、変則的ではあるが尚企業維持の精神から、これを会社として扱うということであつて、それはあく迄も有効な会社成立を前提とし、且将来再び正規の会社形態に復帰するであろうことが期待されている状態を指すものであつて、始めから会社の実体を備えず、会社として存在していない久棉の如きはここにいう「一人会社」に該当しないことは明らかである。
そうしてみると、以上の通り、久棉は会社ではなく、その実体が存在しないものであるから、これに対して害意を抱き、或は財産的損害を加えるという事はあり得ない事であつて、被告人吉原が如何にほしいままに多くの久棉名義の約束手形を振出したとしても、それは何ら久棉に対する特別背任罪を構成するものではなく、従つて被告人吉原がこれについて責任を負うべきものではないということになるのである。
第三、結論
以上記述した通り、被告人小野村正に対する詐欺、被告人北島健、同吉原又吉に対する特別背任の点は、何れも犯罪の証明がないことに帰着するので、刑事訴訟法第三三六条に則つて無罪の言渡をすべきものである。
依つて主文の通り判決する。
(裁判官 柳原幸雄 原憲治 武藤泰丸)